執筆

執筆一覧

トロルドハウゲンの婚礼の日 グリーク抒情小曲集

登録日時:2009-12-24 / 更新日時:2009-12-24
雑誌 "ショパン" 2002/12/4
21世紀に弾きたい曲 『コラム、教えるポイント』
 
抒情小曲集 第八集のこの曲は、愛妻ニーナとの銀婚を祝って、グリークが53歳のときに作曲されたとのこと。明るいマーチで、構成はABAコーダで成り立っています。A部分のリズムの特徴は(マーチ)を連想しつつ、若いお人のマーチでなく、銀婚のグリーク夫妻のマーチで、表示の Un poco  vivace を連想する必要がありそうです。 アクセントに音楽的な支えを入れつつ、行方を4小節 1フレーズに上記のことを連想し、このリズムの段違い・・・音の拡大・・・そしてファンタジックな夢の中を表現します。あたかも”さざなみ”を連想させるような、16分音符の左右受け渡しのテクは均等に支えが入るまで、リズム変えの練習は欠かせません。そして左手にこの曲の特徴的なリズムが表れ始めて現実に・・。この部分は最後まで大きく1フレーズに掴んでまとめましょう。右手がメロディーラインになっています。 中間部(B)はあたかも夫妻のオアシス・・・。お互いに思い合い、いたわりあっている様子が音に託されています。それを回想するかのような、音楽的に美しく素敵な部分・・・。しっとりと表示のPoco Tranquilloをイメージしつつまとめましょう。コーダは音を誘い込みつつ・・静かに眠りにつくように沈んでいき・・・・・そして最後の和音はこの曲全体の思いを込めて、締めくくるつもれで・・・。この抒情小曲集は人間の感情の諸々、自然界のことなどをグリーク独特のリズム感、フレーズ感、を基に作られています。どれもグリークの暖かい人間性が垣間見れるのは私だけではないでしょう。

時代の波にのり続ける・・・・・?

登録日時:2009-12-24 / 更新日時:2009-12-24
雑誌 ”ムジカノーヴァ” H15/7/24 
 
 ことピアノ指導者に限らず、時代の波にのり続けること 結構大変なことなのでしょうか?私の場合、どういうわけか その時々に必要に迫られ、又自身が向こう見ずでムデッポウな気質とともに、まず新しいものに興味が行く・・・が、 もしかしたら幸いしているのかもしれません。 年のことは度外視して、無謀にも何事もこれは・・・と思ったことに対してじっくり考える前に行動に移してしまうせっかちさが、 災い転じて福となす?転ぶことも、もちろんあるものの差し引き すればプラスのほうが多い。又、根が”ねあか”に出来ているこ ともあり、少々のことではへこたれない精神構造を持ち合わせ ていることは、唯一自身でありがたいこと! 不思議と長い人生、たとえ災いが起きようが、この精神のおか げで福に変わること多しなのは、ホントに幸運の極み! このことは実際に体験し、経験済み。  つまり 何事も、特に失敗したと、思われた時には、前向 きに真正面から誠実に向かいつつ、どうしたら・・・を、考えること にして、あまり逃げることはしなかった。そうすることはどうも好き ではない! すると不思議にも必ずといって良いくらいその後、物事が好転 してきたように思う。 しかし戦国の武士なら、一番討ち死にしやすいタイプでしょうか。 現在の時勢に・・・自分では良く分かりませんが、どこかフィット した?ことでもあるのでしょうか? 要するに、物事あまり深刻に考えず、くよくよせず、興味を持った らとりあえずはやってみること・・・。 1度しかない人生、やらなきゃ損損?!!の精神ですの!  今までにも40才そこそこで、自転車に乗りはじめ、50歳過ぎて 車の免許を取り、パソコンは取り付いて5年目を迎えようとしています。
自転車はそのころ埼玉県の松原団地に住んでおり、重い荷物を 自転車で運べたらという考えから、思い切って夜中、 そっと起きて練習し、3日目にはどうにか乗れるように・・・・。それからお隣の駅東武浅草線【新田】に新しくピアノのレッスン室を設けたが、 このときは自転車に乗れることのありがたみを実感し、せっせと 自転車で行き来したものでした。

 車の運転は、赤ん坊のころ左足の股関節に脱臼があり、直ったものの、その発見が1歳半だったこともあり、二十歳過ぎごろから 歩きすぎたり走りすぎたりすると、少々痛みが走るようになりだした。
そして50才を越えるころからその痛みの度合いが激しくなり、思い切って左足に人工関節を入れる手術を受けた。お蔭で60歳過ぎの現在まで、股関節の痛みは全然ない。先日、病院で調べてもらったところ股関節まったく異常なし、この分なら一生持ちそうと言われ、胸をなでおろしたところ・・。ただ、人工関節に負担を掛けないようにするべく、自身の考えで車の運転免許取得へ。退院したその年【4月】9月末に教習所に行き、12月には首都高を走るという無謀なことをしており、思い出すと今でも冷や汗。この時もせっかく免許を取ったのだからと、東京の道に慣れることと覚えることを目的に、夜中の2時、3時に走り回った。この時の教訓は、夜中と昼間の景色及び状況の違いはなんといちじるしいことか・・・と、実感したことでした。しかし運転に慣れる・・・という面ではプラスだった。その後も旅行は殆ど車、現在でも音大の行き来は全て車・・・車なしの生活は考えられませんこと!

 パソコンはそのころPTNAの委員会で議案を作ることも多くなり、はじめはワープロで作成し、FAXで本部に送信したりしていたが、FAX用紙は無くなりやすいとのコト、パソコンならば、メールでひとっ飛び!!しかも保存も効く!!今後これからの時代これしかない!・・とばかりに、パソコンを購入。購入先にパソコン指導の講師がいて、そのお方に来てもらい、ご指導を・・・!ところがこの方、お若いせいか指導力あまり思わしくなく、その方に・・・言いましたとも!!”チョット!私まるっきり初めてなの!クリックって何?プレヴューって何?マウスって何?スタートメニューって何?カーソルって何?”それぞれの言葉の説明抜きで始めるものですから大変!!”もうチョット手順良く!私、全部意味を書くので、出来たら次の時間までに、分かりやすくて良いパソコン使用法の本を買って頂けるとありがたいな?”と・・。
こんな調子ですから、初めてのとき3時間ぐらいかかり、始めの1時間はサービスだったものの・・・その後は1時間1万円で・・・4, 5回時間をたっぷりとってやって頂き、2回目ぐらいにはメールは こなせるように・・・。 これも初めての日にメールを私が送り、返事を頂き、又私が 返事を・・・を繰り返して、2回目にどうにかこなせるようになる。 このようなことは恥ずかしがっていては駄目で、恥も外聞もなく、 しっこいぐらいに何でも聴くことが大切!その後、我が教室に ピアノ大好きで、パソコン名手の方が入門し、なんとHPを立ち上げてくれたのです。 ここに我がレッスン状況をはじめ、諸々のレッスンポイント等を 掲載したところ、HPに尋ねてくれるお方も急増・・!!現在では パソコンなしの生活は考えられない日々に成りました。 ちなみにHPアドレスは下記の通りですので、http://www.katuko.com/
パソコンお持ちのお方はご覧くださいませ。

 こんなわけで、1日24時間・・・びっしり詰め込んだ 日々!なんと何時の間にやら更年期障害も、通り抜けてしまい ました。 なんとなく肩や腰が重いのがそうだとすれば、いまだにそれは 続いているものの、それ程苦になることもなく、確かに身体は こっており、週1度のマッサージは欠かせない。しかしこれはどう やら目の使いすぎ?ピアノで目を使い、運転で、パソコンで・・。 なんと3拍子揃いぶみ!そのための負債を取り除くべく、 ブルベリーを取り寄せ、目薬の木を沸騰させて飲みつつしのいでいる。 しかし年は争えません!今後は身体に重々気をつけつつ・・・ 内心・・・ゆっくり旅行でもしたい気分、これは唯一の今後の希望!!

 もしかしたら私の人生・・・、必要に迫られて年甲斐もなくそれぞれ無謀に取り付いたことが、時勢の要求にたまたまうまくマッチしただけのことかもしれません。とにかく石橋たたいて・・・の精神は、私には備わっていないことは明白でしょう!

トロイメライ

登録日時:2009-12-24 / 更新日時:2009-12-24
雑誌 "ショパン" 2001年9月号 P.91
教えるためのワンポイントアドバイス

 『子供の情景』(作品15)は、シューマンが恋人のクララから「あなたはときどき子供みたいなところがある」と、言われた言葉が胸に残って、あたかも羽根を与えられたかのように思え、30曲の小さな曲を作って、その中から13曲を選び『子供の情景』という題をつけたと言われている。この気持ちをクララに宛て、綴った手紙が現在も残っているそうな。その中の1曲『トロイメライ』は、もっとも有名な曲です。この頃はまだ独身だったシューマンが、子どもの頃を思い出すかのような、純粋で無邪気さをのぞかせつつ作られた曲の多い中で、この『トロイメライ』や『詩人のお話』はクララに思いをよせて作られた曲のようにも思われます。 さて教えるポイントとして、いくつかあげてみましょう。このような曲を音楽的にまとめる場合大切なこととして、まず初めのフレーズ(4小節1フレーズ)を例に取りましょう。(後も似たり寄ったりですので、このことを例にして考えましょう)。メロディーラインの大きな柱(2分音符のド?ド?レ)をつかみ、それを基に、その柱に向かってレガートに方向性をもって、フレーズを押していくことが大切になります。そしてそれを支えているのが左手のハーモニーということになりますから、その音色の表出、とくに頂点の分散音の(緊張音)の生かし方は、左右ともすくい上げるように鳴らし、手首の力を抜きつつレガートに次の音へ・・・・というようなことになるので、かなり高等技術が必要になります。そしてメロディーラインを生かした音(時々中声やバスも顔を覗かせたりするので注意)のバランスには常に心配りが必要です。
そしてテンポはメチャクチャ崩すわけにはいきませんから、プラスマイナス0になる程度に、感性を生かしてレガートにまとめましょう。ペダルの基本はハーモニーごとに踏み換えますが、4小節目の左手の8分音符などは指でレガートに。ペダルのタイミングには充分気をつけましょう。リタルダンドも自然に。最後の頂点はできるだけ音楽を遠くへ。そして静かに沈んで余韻を残して終わります。

21世紀に生きざまを留めた人間として、心に焼き付いていること

登録日時:2009-12-24 / 更新日時:2009-12-30
雑誌 ”ムジカノーヴァ” 2001年2月号 P.64?65

この原稿が表示されるころは21世紀の第1歩を踏み出して いるはず。この波乱に富んだ20世紀の中で、人のために 尊い命を亡くしてしまった友人のこと、あるいは人のために 全財産を失ってしまった姑のこと、他にも気になる次の世代 を担う子どもたちのこと、第2次世界大戦のことなど、いくつ か思い起こしてみましょう。

◇ 人のために犠牲になった人たち
あれは確か小学校4年生のころだったと思います。戦後の食べるものにもこと欠きがちな生活難の中、父に中古ピアノを 無理してやっと買ってもらいました。当時京王線の笹塚に住んでいた私は、柴崎(現在はもしかしたら駅名が変わっているかもしれません)までピアノを習いに通っていました。そこのお教室には小学6年生の素敵なとてもやさしいお姉さんが一 緒に通っていました。私はそのお姉さんが大好きで、お友達 になったある日のこと、水泳の好きなそのお姉さんは、日曜日に江ノ島へ行くことをとてもうれしそうに話してくれました。 翌週そのお姉さんに海の話を聞こうと、楽しみにレッスン日を迎えたのです。ところがなんとショックなことに海で溺れて亡く なったとの先生からのお話!しかも溺れている人を助けようと 思って助けに行ったところ、しがみつかれてご本人も溺れて亡 くなったとおっしゃるではありませんか!なんということでしょう!しばらくはピアノも手につかず、呆然としていたことを思い出します。他人を助けるつもりで、自分が遺られてしまうなどというこんな悲劇は…なんとも悲しいこと
です。

このような話は視点を変えれば、他にもありそうです。今は亡き主人のお姑さんの話です。主人の実家は昔、やはり京王線の幡ヶ谷に住んでいたとのこと、それこそ大邸宅だったようで、子ども4人にひとりひとりお手伝いさんがついていたような生活ぶりだったと。ところが主人の父親(生きていれば、私の舅にあたるお方)が昭和18年に結核で亡くなり、様相が一変してしまったようです。 このお姑さんが人助けのつもりでやってしまった保証人の押印が、 その後の生活状況を一変させてしまったのです。しかも戦争で (昭和20年5月25日大空襲と聞きおよんでいます…日付チガッタ かしら?)その大邸宅は燃え尽き、鎌倉の小町にあった小さな別荘に戦後移り住んだのです。そこに子ども4人と、お姑さん、お祖母さんの6人で暮らしていたそうな。私の亡き夫はまだ中学生だったのですが、くず鉄を拾い集めたり、古新聞を集めてその日暮らしの生活費の足しにしたそうです。ひとつのコッペパンを6つに分け あって食べたこともしょっちゅうだった、とよく話してくれたものです。

◇ 精神的飢餓状態の子どもたち
このような話は今のお若い方たちに、特にピアノをおやりになって いるようなお方は、おおかた裕福な家庭のお人が多いことでしょうから、ピンとこないかもしれませんね。でも何事においてもハングリー精神ってとても大切のように思われます。

人間はないものを追い求めるときは精一杯向かいますが、すべて満たされてしまうと、やる気が失せるもののようです。 また人間は物質にいくら恵まれても、心が満たされていないと、決して幸せにはなれないのです。今の若い人の状況を見てつくづくと感じることは戦後の飢餓時代と比べて、今の若い人たちの方がすべて物質面において恵まれているはずなのに、精神面での飢餓状態のなんと多いことでしょう。

なぜ?戦後の教育のアンバランスな面がここに来て噴出しているもののようです。

戦後日本では、物質面での要求を満たすための高度経済成長にばかり重きをおき、精神面での教育がなおざりにされたことは戦後の経緯を追えば一目瞭然です。

家庭においてもお父さんは働きバチと化し、家庭内のことはお母さんに…と、お母さんはお母さんで、一流大学にさえ入れればこの子の一生は安泰とばかり、愛情を与えるのは二の次で、それ勉強!塾!と尻をたたくのみだった方も多いのではないでしょうか。かわいそうな のは子どもたちで、遊ぶひまさえなく、好きならばまだしも、きらいな 勉強だった場合、愛情も与えられずにしごかれることばかりが続いていけばどうなるでしょう…動物を調教するときは愛情をかけてあげないと決してうまくいかないのと同じで、まして人間は、動物よりはるか に高い知能を持った感情の動物です。精神的におかしくなるのは当然かもしれません。この子どもたちもある意味で(遺られてしまった)犠牲者と言ってよいでしょう。21世紀ではこのアンバランスな面をなんとか、修正する必要がありそうです。

◇ 21世紀を迎えて
もうひとつはこの20世紀には忘れてはいけない“人のためにご自分を犠牲にする”という大きな出来事。大きな悲劇。それは第2次世界大戦です。お国のために…当時軍国主義だった日本は、尊い命をどれだけのお人が捨てざるを得なかったことでしょう。

人のために犠牲になる…こんなつらい悲しいことはございませんね。お互いが思いやって暮らせる21世紀であることを祈るばかりです。

比較

登録日時:2009-12-24 / 更新日時:2009-12-24
PTNAアワーミュージック 平成元年6月 巻頭随筆

 ”くらべる”と言う言葉はどうも良くない印象を与えるのはどういうわけなのでしょう。物事の価値判断の手段だからでしょうか。きっとこのこと自体、かなり不確かなことが多いからでしょう。その上、比較の対
象物の状況、環境、性格等によって、逆の評価の出る可能性も十分あるからです。
 人間の頭とは元来それ程上等な物ではなく、相対的に物をみることでしか判断できない物と思います。 又対象物がそこに無くても、頭の中には過去から蓄積された対象物が存在するのです。この存在の度合いによって、各人の価値観に違いが出てくるわけですし、そしてそれを元に比較されていく物と考えます。 私達の場合、生徒指導の際、そして公には審査する立場になった時など、色々な面から比較することが必須条件になります。 比較するには色々な捉え方があるわけで、一番はっきりするのは、それぞれの辿ってきた環境、そして体験でしょう。その結果として各人の主観が生じるのは言うまでも無いことです。それを基に各人の主観で点を付けていくのが審査するということになりますが、問題点は各審査員の点に開きがある場合でしょう。このことは恐らく基本的なことを度外視した主観的なものさしの比率の大きすぎた時に起こるように思えます。
 元来自分本位で感情の動物でもある人間?全てにおいて己をまったく捨てている人など”神”以外には考えられません?だからこそ相対的判断、その評価が必要なのです。又人間の耳はいい加減な物で、体調の良し悪しによっても、また、審査の数日前に他の場所で審査た人など、その時の判断基準が基になりますし、又逆に始めての人と、それぞれ判断基準が違ってくるのは当たり前なのです。それをあたかも絶対的なものとして判断を下し、他を全て駄目と決め付けるようなことは一番危険ですし、やってはいけないことでしょう。特に芸術の世界においては審査する場合も主観(好み)が優先されてくるので、常に危険が伴いがちで、大切なイマジネーションを打ち消す場合も考えられます。したがって審査するということは大変責任の重い難しい仕事といえる半面、人間のやることに、絶対的(完全、完璧)ということは有りえないということを、認識せざるを得ないのです。つまり審査員の構成、その比較のされ方によって選択が変わってくるのは当然なのです。 ところで話は飛びますが、人間は比較される対象がないと、人間本来の欠点として怠惰になり向上心も薄くなり、慢心することも起こりやすいともいえます。逆に言うと比較される立場に身を置くことにより、成長することが顕著になるともいえるでしょう。切磋琢磨という熟語がありますが、これはまさにこの心理をついた言葉といえます。又この比較するという行為は、、常に自己満足を満たすための行為とも考えられます。したがってそれを満たすために人間は物事を選択し挑戦したりするのでしょう。大げさな言い方をすれば、人類の歴史はまさに比較され、選択し、挑戦してきた歴史であると思います。過去の蓄積の上に歴史があり、したがって過ぎ去った歴史の是非判断は無意味であり不可能と思います。可能なのは、今、何を比較し、何を選択するかということでしょう。